【爺さんのたわごと】8月15日に無言館に行きました。

毎年8月15日には前山寺にある無言館に連れ合いと行くのが習わしになっています。今年も行ってきましたが、例年に比べ来場者が多く感じられました。絵画を見ていると何か訴えているような奇妙な感情になり、2度見をしてしまいました。何か「どうするのか」という問いかもしれません。日本が平和主義から大きく外れ武器の製造、販売、輸出、核兵器も持つのが当たり前の主張が公に語られ、安保法制が次々と成立していく時代になってしまいました。武器を持たないと「平和は守れない」との主張が公の政党が主張する時代になってしまった。無言館で絵画の前で何も言えませんでした。

地道に核軍縮を求める高校生や若者、18歳未満での選挙活動を求める活動、校則の廃止を求める活動、ヘイトに反対する活動、安保法制に反対する活動など幅広く若者(年寄りも)活動していることに、過去につながる未来を感じています。確かに一方では危機感をあおり今にも他国が攻めてくるかに煽る人たちがいます。昔も変わりません。AⅠの普及で考えない、考えることを放棄する人たちが増えています。SMSで煽られる人もいます。でもいつかは気づくことを信じたいと思います。

一昨年入院する機会があり、病院で読書三昧の生活をしました。その中に斎藤幸平の「人新生の資本論」「ゼロからの資本論」を読む機会があり、私たちの世代のマルクス主義とは違う視点を知ることができ、なるほどと思えるところがありました。現在の気候変動、最近の台風による水害による大きな被害が続いていますが、異常でしかありません。被害に次ぐ被害で復興ができない状態が続いています。人間が創り出した気候変動が限界を超えているのかもしれません。

障害者支援の現場も揺れ動いています。障害者の一人一人の生活の実現を求める視点から事業としての成立するかどうかに変わりつつあります。事業として成立しなくては存続ができない環境になっています。介護保険制度の実現を目指した中に「老後はサービスを選択して豊な生活」の理念がありましたが、いつの間にか消えて金がない人の老後はサービスも利用できない環境になってしまいました。人間にお金をかけないで、消耗するだけの武器にお金をかけるようになりました。障害者サービスも同じく就労を目指すことが主になり、生活が置き去りになっています。一昨年の報酬単価の切り下げで、訪問介護事業所の倒産が相次ぎました。現在もヘルパーのなり手がいません。このような環境の中で障害サービスも営利事業の草刈り場になっています。全国展開の企業が事業を始めることが多くなっています。同時にソーシャルカンパニーの側面も大きくなっています。社会大きく変動し、格差、差別が拡大するなかで、障害者が自立生活を目指することの意義が大きくなっていくことも感じています。ふと思い出すのが40年前、障害者がタクシーに乗ろうとすると拒否されたり、美容院に行けば設備がないと断られたり、飲み屋に行けばカウンターを車いすのステップで傷つけるからダメと言われたり、どこでも差別があったのが思い出されます。よく言った言葉は「泣いて帰ってくるなら、喧嘩して帰ってこい」と。

困ったさんの爺さん

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